19年ぶりの東海道新幹線
昨日久々に新幹線に乗ってきました。もちろん「のぞみ」は初めてだと思います。速くなりましたね。Facebookを投稿・チェックしてるうちに名古屋を過ぎ京都に近くなって気がつきました。新大阪で降りるので、買っておいた駅弁を急いで食べることになりました。
40年前、専門学校の学生だった頃いつものように学校に行く支度をして師匠のもとへ朝の挨拶に行くと「おう、ちょっと買い物に行って来てくれよ」とお金と週刊誌の裏表紙を渡されました。お店の場所は、なんと神戸・三宮の商店街。ちょっと特殊なラジオでした。新し物好きで興味が湧くとトコトン突き詰める人でした。おかげで当時ダブルスクールをしていた僕は、夜間部の授業もサボるはめになりました。今なら明るいうちに充分帰れそうですね。
今回の西国行きは、30年来の懇意な尼崎の患家へ日帰り往診でした。昨夏から地元での治療では埒があかないので、泊まりがけで来院したいとの連絡は受けてたんですが、この身体で横浜までは無理だとドクターストップがかかったり、計画時に具合が悪くなったりで延び延びになっていました。その間も薬の相談や地元での治療方法の指示などしてはいたんですが、今ひとつ状況が把握できないので「とにかく一度伺ってみるよ」と数日前の電話で決心したのです。
最寄駅の改札口で迎えてくれたお母さん(12年前に当院滞在治療)とお兄さん(修行時代に)の運転する車で患家到着。お茶もそこそこに、20年ぶりに彼女(50代半ば)を拝診し始めると、突然泣きながら『時々夢に竹内先生が治療に来てくれて、帰り際に「絶対治すから金坂の所へ行くんだよ」とおっしゃるんです』と話してくれました。それを聞いた僕は、往診しよう、させてもらおうという気になったのは師匠の働きかけがあったからだと悟りました。師匠は頼られたらどんな困難もいとわずどこへでも出向く人でした。四国・九州・青森、同行したこともあります。昔から一家を上げて東京まで頼って来てくれるこの患家を、師匠なら有無を言わさず往診するだろうなと思えたし、たましいとなった今なら当然彼女の言うように夢にでも出てきて働きかけをしてくれるだろうと思います。今この時、僕の手を通して感涙にむせぶ彼女を師匠が治療してくれているんだなと感じたことでした。